大阪でケータリングならファーストケータリングです。

 

初めましてスタッフの徳田と言います。

 

皆様にご挨拶もかねて、私の自己紹介をさせていただきたいと思います。

 

私は、1979年12月30日という年末の忙しい時に生まれました。

 

鳥取の倉吉という人口5万人程度の街なのですが、山、川、田んぼがいっぱいあり、とても自然が豊かな街です。実家は農家をしておりまして、春には玉ねぎ、夏にはメロン、秋には二十世紀梨やコシヒカリの収穫といった、食物に接する機会が多く、また自分たちがいつも食している食べ物を作っている祖父母、両親を尊敬してます。

 

自然が相手の職業ですので、やはり大変な時期もありました。子供ながらに「なんで家だけ大変なんだ」と思った時期もありました。それでも、今は農家に生まれてよかったと思ってます。実家からお米や野菜を送ってもらえるので食費も浮きますし(笑)

地元の夕陽

そんなこんなで18歳までは倉吉で育ち、高校を卒業と同時に大阪の専門学校に行くために故郷を離れることになりました。

 

初めての一人暮らしはとても楽しく、また大阪という土地にあこがれていましたので毎日が刺激的でした。多くの仲間や友達ができ毎日が楽しくてしょうがありませんでした。ただ、遊びまくってたわけではありませんよ(笑)その頃は建築士になるのが夢で、建築の専門学校に通って仲間としっかり勉強していました。一応学校の代表として、自分が設計したものが展示されたこともあったのですから。

 

それでも、自分が思っていた以上に現実は厳しかったです。就職でことごとく落とされ、卒業時には職がなくフリーターとして生活しなくてはならなくなりました。専門学校にまで通わせてくれた両親には大変申し訳ないと思いましたが、「人生何が正解かわからんけど、やってきたことを無駄にしなければそれは自分にとっての正解になるんじゃない」と、両親に言われ救われました。

 

とにかく大阪で頑張るしかないと思った自分は、アルバイトでも自分に与えられた仕事はしっかりとやろう、みんなの役に立てるように頑張ろう。その思いで毎日仕事をしてきました。時には失敗した時もありましたが、それでもそれを糧に頑張りました。そんな時、その時期働いていた店長に誘われて今の会社の社員になりました。

 

そこでもいろんな経験をさせてもらいながら、日々勉強し日々成長していきました。そんな私がこの会社、この業界に入ってもう15年が経ちます。子供の頃から「食」に携わってきた私は今後も「食」と共に歩んでいきたいと思います。

 

そしてこれからこの「ファーストケータリング」で皆様のもとへ「食」をお届けし、喜んで頂けるよう頑張りますので、これからよろしくお願いいたします。

 

大阪でのケータリングはファーストケータリングで!納会・懇親会・忘年会・新年会・歓迎会・送別会・キックオフパーティー・謝恩会・お花見・同窓会・結婚式2次会など様々なシーンでご利用ください。